出来損ないの”or should I?”(が、ならざるべきか?)
(本当は昨日に書き上げたかったけれど、ちょっとオーバーしてしまいました)
――記事を書き始めるにあたって、カッコのいい表題を付けようと思ったのですが、イマイチ格好ついてないですね。表題の威勢のよさと内容が噛み合ってるかどうかの自信もそんなにありません。
外面と内面を共に充実させることって、実際とても難しいことだと思います。
例えば自分は”解ってる”人間なんだ、と思わせたい。そういう思いが先行して”エビデンス”だの”アジェンダ”だの”レジュメ”だのと言ってみたり、「中身を説明しないと通じないような法則」を持ち出してみたりする。
冷静に考えてみればそもそも言葉とは「通じる」ことこそが重要だと思いませんか?少なくとも私はそう考えているので、こういう一聞しただけではその言葉の意味する事柄が把握できないのではその言葉をチョイスする意味がないのでは?と思ってしまうのです。(ただし摩訶不思議な言葉で相手をケムに巻くためにその言葉を選んだのであれば、その目的は達成されているのかもしれませんが)
格好つけたが故に内面がついてこない。
逆に中身を充実させんがために文章ばかりを何行も何行も重ねて己が思いを吐露したりしてみても、それがすぐ大衆に解されることはないでしょう(というか最後の一文字まで読まれないんじゃないでしょうか)。
それは短く纏まっていないことが原因であるかもしれませんし、絵も図も使ってないせいでキャッチーさが足りないのかもしれませんし、最後まで読まれない理由は読み手によってさまざまだと思いますが、共通しているのは「触りがよくなかった」ことにあるんじゃないかと思います。
密度を意識するが故に外面がついてこない。
本当に大衆の理解を得たいのであれば、外面も内面もほどほどでよいのだと思います。
武装しすぎると引かれますからね。
あ、『「中身を説明しないと通じないような法則」を持ち出してみたりする』ことと『中身を充実させんがために文章ばかりを何行も何行も重ねて己が思いを吐露したりしてみ』ることに関して言えばあれですね、完全にブーメランです。
(この書き出しを膨らませたらもう一記事書けたかな)
さて、本題に入って…
この記事のタイトルにある「or should I?」というフレーズは元々アニメ「攻殻機動隊 Stand alone complex」第11話「亜成虫の森で PORTRAITZ」に登場するものです。
この一文の訳としては作中の通り「僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた。が、ならざるべきか?」となるわけですが、そもそもこれ、J・D・サリンジャー著「ライ麦畑で捕まえて(原題"Catcher in the Rye")」の一節を引用したものなんです。
ライ麦畑でつかまえて―The catcher in the rye (講談社英語文庫) (Kodansha English library)
- 作者:J.D.サリンジャー,J.D. Salinger
- 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
- 発売日: 1997/04/01
- メディア: 文庫
(私が初めて「ライ麦」を読んだときは確か村上春樹訳のものだったので、このフレーズはこの訳そのままではなかったような気がします。当たり前だけれど)
しかしながら"or should I?"つまり「が、ならざるべきか?」という部分は、原文には登場しません。つまり作中に登場するキャラクターが「ライ麦」の一文に書き加えたものなんですね。
「僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた」という一節。「ライ麦」からの引用。「が、ならざるべきか?」という加筆。そして「加筆した」ということ。
これら全てが、作中におけるテーマに大きく関わってくるのですが、そちらの話をし始めるととんでもねえ文字数になってしまうので、今は避けておきます。
「が、ならざるべきか?」。
人なら誰でも、常にこの言葉と無意識的に付き合いながら生きていると思います。
みんな常に、何か――今の自分とは違う何かしら――になろうとしているものです。意中のあの人と話したいなあとボンヤリ考えているときも、何か事業を興そう!と奮起しているときも、多分頭のどこかしらに「が、ならざるべきか?」がいるわけです。
人、特に大人って慎重で保守的なんですよね。20年以上も生きてますから、それまでに経験した数多の失敗から自ずと慎重にならざるを得ないんだと思います。だから「現状を脱したい」という思いが大小問わずみんな頭のどこかしらにあって、それでいて現状を脱することに対する抵抗感――例えば不安とか恐怖心とか――が首をもたげている。
失敗することというのは本当に怖い。「子供のうちに沢山の失敗を経験しておいたほうがいいよ」というのは、本当によいアドバイスだと思います。それは別に年齢と失敗に対する恐怖心が比例してるって話じゃなくて、子供には失敗を咎めてくれる人も、許してくれる人も、慰めてくれる人もいるわけですからね。
ここ数年、更に「が、ならざるべきか?」と格闘しながら毎日を過ごしてきたので、ついにはこんな記事を書いてしまいました。
思い返してみれば、これって往々にして杞憂なんですよね。考えすぎて停滞してしまうくらいならいっそ振り切って行動したほうがいいんだと思います(私の浅い浅い人生観からそう思ってるだけですよ!)。「しない後悔よりする後悔」って言うくらいですから。
…当たり前ですね。そんなこと。上手くやってる人って、きっとみんな分かってるんだと思います。
どうでしょう、外面(=表題)と内面(=記事)、釣り合ってました?
そのうち「攻殻機動隊」の考察でも書こうかな。
……が、書かざるべきか?なんてね。
では次の記事でお会いしましょう。じゃあね。